そこで、中標津町郷土館の村田様に来校していただき、俵橋の歴史を学びました。
この日のために、ワークシートを作成してくださいました。
その昔、この地域はアイヌ語で「チナナ」「ツナナ」と呼ばれていたそうです。
干し鮭を作るための川→チナナ川
から来ているのだそうです。
初めて聴くことが多く、驚きながらメモをする3,4年生。
俵橋にとって、大切な人の登場です。
「芦沢勇吉」さんです。
この方のおかげで学校ができたのです。
芦沢さんは、なんと江戸時代生まれなのに、アメリカに渡って缶詰の勉強に行ったそうです。
その志の高さと意欲、勇気、知力や体力に敬服してしまいました。
標津でえきてい所も開いていたそうです。
明治44年。
俵橋はもとより中標津の基礎を作った乾定太郎さん一行が徳島県から開拓に入ってきます。
これは「しまだぐわ」。
持ってきてくださいました。
いよいよ中標津最初の学校の登場です。
炭焼き小屋を使ったそうです。
「中標津原野特別教授所」
1916年大正5年に開校しました。
101年前ということになりますね。
芦沢さんの番屋を運び、校舎にしたそうです。
開校当時、33名。
「今より多い!」と子供たちは驚いていました。
でも、教室は一つです。
次に俵橋の由来です。
ここで出てくるのが「俵 孫一」さんです。
北海道庁長官です。
今の知事ですね。
住民は俵長官のために不眠不休で標津川に橋を作ったのです。
俵長官は札幌に戻った後、正式な橋を作ってくださいました。
その橋の名前を俵橋としました。
畑作から酪農へ変わっていくお話。
昭和50年代の校舎。
今の校舎です。
本校は昭和45年に建てられて、実に47年目となります。
授業の学びと感想の発表です。
このような自分なりの言葉が言えるようになってきたことが成長です。
とても勉強になりました。
子供たちもすぐにお礼の作文を書いていました。
これからも多くのことを学ぶため、郷土館を有効活用させていただきます。